NHK朝ドラ『あんぱん』に登場する八木信之助。
主人公・やなせたかしの人生を大きく変えるキーパーソンですが、「いったい誰がモデルなのか?」と気になる方も多いでしょう。
実は八木のモデルは戦時下と戦後で異なり、戦後の姿はなんとサンリオの創業者に重なります。
本記事では、その史実をもとに解説します。
- 朝ドラ『あんぱん』八木信之助のモデルは誰?戦時中と戦後に分けて解説
- 朝ドラ『あんぱん』八木信之助のモデルであるサンリオの創業者との関係
- サンリオの創業当時の様子
朝ドラ『あんぱん』八木信之助のモデルは戦時中と戦後で違う
朝ドラ『あんぱん』に登場する八木信之助(演:妻夫木聡)は、やなせたかしさんの生涯を描く中で重要な人物です。
実はこの八木には、戦時中と戦後でモデルが異なるという特徴があります。
戦時中の場面に登場する八木は、やなせさんが自伝で語った「新屋敷上等兵」に着想を得たとされます。
これは実在した上官で、やなせさんに大きな影響を与えた存在でした。
一方、戦後に登場する八木は、やなせさんを再び支援し、その後の人生を大きく方向づけた人物をモデルにしています。
それがサンリオの創業者・辻信太郎氏です。
朝ドラ『あんぱん』八木信之助の戦後のモデルはサンリオの創業者
辻信太郎(1927–2013)はサンリオの創業者であり、やなせたかしさんの才能をいち早く見抜き支えた人物です。
1966年、やなせさんが初めて出版した詩集『愛する歌』は、辻氏の強い支援によってサンリオから刊行されました。
詩集は異例のベストセラーとなり、以後のサンリオ出版事業の基盤を築くことになります。
さらに1973年には、やなせさんを編集長に迎えた雑誌『詩とメルヘン』をサンリオから創刊。
この雑誌は若い詩人やイラストレーターの登竜門となり、やなせさん自身の作家活動にも大きな影響を与えました。
サンリオの創業当初のビジネスモデル
サンリオは1960年に山梨シルクセンターとして創業。
当初は山梨県産の絹製品を販売する会社でしたが、やがて「可愛いデザインをあしらった雑貨」に事業を転換していきます。
ドラマでは「九州コットンセンター」とされていますね。
特徴的だったのは、単なる物販ではなく「人と人をつなぐ贈り物」というコンセプト。
ギフト市場に照準を当て、手頃な価格帯の商品に「心を届ける」という付加価値を持たせたのです。
1970年代には自社キャラクターの開発を進め、1974年に「ハローキティ」を誕生させます。
翌1975年のヒットによって、サンリオは“キャラクタービジネスの先駆け”として世界的ブランドへと飛躍しました。
サンリオとやなせたかしの関係
サンリオとやなせたかしさんの関係は、単なる作家と出版社以上のものでした。
- 1966年:サンリオが詩集『愛する歌』を刊行し大ヒット
- 1973年:雑誌『詩とメルヘン』をサンリオが創刊、やなせが編集長に就任
- その後:詩と商業を結びつける活動を通じ、両者は「詩的世界観 × キャラクタービジネス」という独自の文化を生み出した
やなせさんの詩的な感性と、辻信太郎氏の商業的センス。
この二人の協力関係こそが、サンリオの事業基盤にも、やなせさん自身の創作活動にも大きな影響を与えたのです。

まとめ
朝ドラ『あんぱん』の八木信之助は、戦時下と戦後で異なるモデルを持つ人物です。
戦時中の「新屋敷上等兵」に加え、戦後はサンリオ創業者・辻信太郎氏がモデルとされます。
辻氏はやなせさんの詩集出版を支援し、『詩とメルヘン』を世に送り出した恩人でした。
そしてサンリオの「贈り物文化」と「キャラクタービジネス」の礎は、やなせさんの感性とも深く結びついています。
まさに八木という人物は、やなせたかしの人生における“支援者”であり“文化の共創者”だったのです。





